SFとファンタジーの境目が曖昧になりつつあるが、ジャンルによって異なる形式美を味わいたいファンにとっては、ここはこだわりのポイント。SFの伝統的なオチにおける制約から新しい地平を探る。
こんなご質問をいただきました。
舞台が現代の世界でSF長編を書くときに、どんなどんでん返しがありますか? 何か『これはっ!?』というどんでん返しがありましたらヒントだけください。SFなので、ある程度制約無く思いつく事はあるとは思っているんですが、ぴこ蔵さんのアイディアがほしいのでどうが妙案を下さい。(Jさん)
ぴこ蔵です。
私が言う「どんでん返し」は人間ドラマを生み出すための構成上の工夫です。原則的にSF用やミステリー用や時代劇用といった区別はありません。ジャンルに関係なく、そこに秘密の暴露による人間関係の変化があることが大事です。
そんなどんでん返しとは別に、SFには、伝統的な技術として「オチ」というものがあります。どんでん返しが「Aだと思ったらBだった」という驚きであり「枠組の破壊」であるのに対して、「逆転」や「二面性」を利用し意外な結末とくっついて最後の最後に新たな問題を生み出すのが「オチ」です。他のジャンルではあまり長編に「オチ」はつけませんが、SFではオチのある長編は名作として高い評価を受けます。
Jさんの作品に必要なのは、むしろこの「オチ」なのではないでしょうか。
ただし「SFなので制約がない」とは言えません。SFではどんな突拍子もない出来事も近代以降の科学的ルールに則って説明できなければならないのです。簡単にいえば、宗教上の神様や悪魔が登場してはいけません。「神とされてきた存在」とか「悪魔的な生物」として科学的に説明できるものならOKです。「魔法」もNGです。それはファンタジーになります。「超能力」であれば、生物学的に説明できるものに限りOK。「神通力」はSFでは認められません。スパイダーマンやハルク、キャプテンアメリカはSFの範疇ですが、マイティ・ソーは神話ですからファンタジーです。
最近はこのボーダーラインがずいぶん掴みにくくなってきてはおりますが、それにしても「ジャンル固有のテイスト」にこだわるファンにとってはやっぱり重要です。また、あえて水と油のジャンルを融合する、あるいはジャンルからの脱獄をはかるという刺激的なチャレンジの楽しみも存在します。
例えばチャイナ・ミエヴィルの『都市と都市』のようなSFとミステリを掛けあわせた作品に出会った時、私たちの固くなった脳に突如として新しい回路が出現し、見たこともない風景を目にするわけです。常識を禁じ手でスマートに破壊する。タブーを鮮やかに破る。これぞ読書マニアの法悦ではありませんか。
そんな意味も含めまして(笑)、長編SFで言えば、ぴこ蔵がいちばん好きなオチはアーサー・C・クラークの『地球幼年期の終わり』のアレです。歴史的名作であり、すでにご存知だとは思いますからJさんのヒントになるかどうかはわかりませんが、実に壮大なオチです。腰が抜けます。疲れが取れます。
どうせなら、ぴこ蔵なんぞの貧しいアイディアではなく、こういうスケールのでっかい、ウィットに富んだ作品を読むことによって刺激を受けていただきたいと思います。
『地球幼年期の終わり』著:アーサー・C・クラーク