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※あなたが書きたい物語の登場人物や道具の名前を入力してね。
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コニー・ウィリスの『航路』は、一生を彩るさまざまな旅の中でも、最後の最期に行くことになる最長の旅行である「死出の旅」をテーマにした小説です。
SFなので亡者が地獄めぐりをする話ではありません。アプローチはあくまでも科学的。素材として使われるのは『臨死体験』です。
ヒロインは認知心理学者のジョアンナ。NDE(臨死体験)の原因と働きを科学的に解明するべく、小児科から緊急救命室まで、迷路のような大病院を駆け回ります。
臨死体験は主観的な経験なので、体験者の記憶がどんどん変容してしまうため、聞き取り調査は急がなければならないのです。
しかし、その病院で臨死体験した患者たちはいずれ劣らぬ変わり者ばかり。なかなか有意義なサンプルデータが取れないため、このプロジェクト事態の存続が危うくなります。
そこで出会ったのが、臨死体験を再現できる薬物を発見したドクター。ジョアンナは彼と協力して、自らが臨死体験をすることになります。
ところが、思いもかけないことに、彼女の意識が体外離脱状態で訪れた場所は、なんとあの有名な……。
分厚い上下巻の大長編にも関わらず、面白くて一気に読みきってしまいました。何を書いても面白いコニー・ウィリスだけに、この作品も見事な構成になっています。
ごりごりのSFというよりも、ある意味でミステリー仕立てでもあり、あっと驚くサプライズとユーモアにあふれていて、大人の知的好奇心を充分に満たしてくれます。
ただ、この『航路』のクライマックスには、もっとスケールの大きな感動が用意されているのです。
twitterで見つけたある感想をご紹介することで(許可済み)、この作品のご案内に代えさせていただこうと思います。
「数年前、癌になった。以来「死」についてよく考えるようになった。コニー・ウィリスの『航路』は臨死体験を巡る物語。これを読んで「死とは新しい体験であり、究極の冒険なのではないか」と思った。それから正体不明の恐怖が消えた。闇に怯えず過ごせる人生は素晴らしい。この本とSFに感謝している。」
全くもって人生とは、いつ何が起こるか分からないものです。ぴこ蔵にしたって、いよいよ漂泊の想いが捨てがたくなり、ある日突然あなたの街に姿を現すこともあるかもしれません。その時はひとつよろしくお願いします。なんのこっちゃ。
『航路』(上下巻) (ハヤカワ文庫SF)
コニー ウィリス (著), 大森 望 (翻訳)
1つは超メジャー・大友克洋の『AKIRA』(講談社)、もう一つは今市子の『百鬼夜行抄』(朝日ソノラマ)です。
私がコピーライターになりたての頃、『AKIRA』の単行本が発売されました。
私はそのラジオCMを作るという僥倖に恵まれ、それまで一番好きだった漫画である『童夢』をもしのぐ迫力とスピード感を客観的に伝えるすべを模索しました。
学生の頃から大友作品の大ファンだった私は、大好きなキャラクターたちへの感情移入を涙ながらに抑制しつつストーリーの論理的な構造を冷静かつ客観的に掴むというある意味で非常に責任重大な仕事をすることになりました。
光栄至極でしたが、正直ビビリました。俺なんかがやっていいのか?
そして、あれから30年近くが経過し、詳細な記憶が薄れた今、やっと再読することが出来た大友克洋の『AKIRA』の重力にあらためて完全にノックアウトされてしまいました。当然ですけど。
なんといっても、世界がこれだけ激変したというのに、『AKIRA』からは未来予知的な衝撃が全く失われていない。これには本当に驚きました。
いや、むしろ、世界は間違いなくAKIRA化しているのを肌で感じました。
いろんなものに追い詰められ、頼りのシステムにはひびが入り、確実なものなんてマジでどこにもないと自覚した今、私たちはもう一度、自分のことは自分で決めるというあまりにも基本的な自由について学び直しているのかもしれません。
さて、個人的な感想はともかく、自分の中での今回の読み直しのテーマは「対立軸」でした。
今さらながら感じたのは、『AKIRA』は登場人物同士のゼロサムゲーム的な対立関係が物語の疾走感を作り出しているということです。
アキラの秘密を追う鉄雄、その鉄雄を追う金田、アキラの覚醒を阻止しようとする大佐、軍事研究所が生み出した超能力者たち、そんな権力からアキラを奪おうとする都市ゲリラ……。
ほぼ全員が対立し、三つ巴、四つ巴になりながらゴールまで一瞬も休み無しに駆け抜けます。
しかもその複雑な人間関係に、きちんと変化が生じ、謎が投げかけられ、またそれが解き明かされるのです。
それはまさにこの強力な対立関係によって連鎖するアクションに次ぐアクションがあってこそなのだと痛感しました。
今さら紹介するというレベルの作品ではありませんが、もしも未読の方は必ずお読みください。
大友克洋といえばその圧倒的な画力に目を奪われがちですが、実はそのストーリーの緻密さ、構成の妙、視点変更のダイナミズムは、全てしっかりとした「対立軸」からの要請によって生じています。
コマとコマとをつなぐものとは何か? 何が登場人物を突き動かしているのか? ぜひともその目で確かめてください。
大東京帝国AKIRA万歳!
『AKIRA』(大友克洋/講談社)
そしてもう一つ、今市子の『百鬼夜行抄』は、『AKIRA』とは対照的に、非常に狭くて小さな舞台で演じられる「能」のような作品です。
ビジュアルの印象から述べますと、妖怪ものだけあってかなりの部分が一軒の家の中で終結する作品が多く、そのほとんどは日本家屋です。
日本文化の持つデザインや生活様式から湧き出して、じめじめとまとわりついてくる霊気は独特の湿度を放ち、水場のように物の怪どもを惹きつけるのでありましょう。
この泉から汲まれる水の柔らかさが尋常のものではありません。
廊下や部屋の片隅のちょっとした暗がりは魔界の闇へと直結しており、読者の意識の下に潜んでいる民俗的な記憶が、その水脈を通ってちょろりちょろりと流れ出しているかのようです。
ところが、そんな幽玄な空間で繰り広げられるドラマには、なんとがっちりと「どんでん返し」が仕掛けられております。
そして、その突然の暗転がもたらす混乱はクライマックスに投入される「切り札」の一撃によって鮮やかに、しかしまるで悪夢からの目覚めのように、怖ろしくも不思議に懐かしい感覚を残しながら収束します。
特筆すべきはこの「切り札」の紛れ込ませ方です。
まさしく日常に溶け込んだ妖かしのように何気なく、静かに、しかし微かな違和感を醸し出しながら私たちはいつの間にかその「存在」を見ています。
見過ごしている、と言ってもいいのでしょう。だから切り札が切られたとき、非常にびっくりします。さすがは妖怪のお話なのであります。
どんでん返しの意外性、切り札の見過ごさせっぷり。振り幅の大きさが、読みきり1話70ページという分量を支えるだけの濃厚なストーリーを構成するポイントになっています。
当代きっての「型」使いの名手・今市子によって織り上げられた、1話1話がハリウッドで映画化されてもおかしくないほどの、非常に完成度の高い構成を持っているこの『百鬼夜行抄』。
漫画家や原作者、編集者を志すのであれば、必ず読んでおくべき作品です。ほーれ、そこにも何者かの放った式神が……。
『百鬼夜行抄』(今市子/朝日ソノラマ)
ホラー小説の世界は広大である。単なる絶叫スプラッタや学校の幽霊譚ばかりを想像していると人生の大きな喜びを逸する。本物の恐怖とはあなたの想像力そのものなのだ。
こんなご質問をいただきました。
最近、ホラーというジャンルに興味が湧いてきました。ですが今まであまり挑戦してこなかったジャンルなので、知識がそれほどありません。ホラーのどんでん返しタイプは、全てのタイプで応用できますか?? スティーブンキングなどの小説も読んだ事がないので読みたいのですが、もしよろしければ強力なオススメを教えて頂けないでしょうか?
実はですね、ホラーというのは、ラブストーリーと並んで『どんでん返し』がなくても面白くなってしまう困ったジャンルなのです。
もちろんぴこ蔵流どんでん返しは全タイプ使えますけど、やはりホラーの醍醐味というのは『次の角を曲がったら何かが待ち伏せしている』みたいな、問答無用の『直接的な怖さ』であるワケです。イントロで不安な気持ちにさせ、オチでキャーッと言わせた人の勝ちなのです(笑)本質がシンプルなだけに構成力の有無が問われます。修学旅行やキャンプで体験している通り、人が集まった時に盛り上がれる物語の基本中の基本は『怪談』です。怖い話が上手くなければその他の面白い話が語れるはずがありません。
S・キングには『秘密の窓、秘密の庭』みたいなどんでん返し付きの面白い作品もありますが、それがキングらしいかと言うとやはり違います。
何と言っても『呪われた町』『IT』『ペット・セマタリー』『ザ・スタンド』『シャイニング』等、読みながら眠りに就くともれなく悪夢が付いてくる、黄金期の長編がおすすめです。
ちなみに長編で私が一番好きなのは『クリスティーン』の怖くて切ない恋です。
キングの中篇・短篇は本当に何を読んでも素晴らしいのですが、ホラーだけでなく『刑務所のリタ・ヘイワース』や『スタンド・バイ・ミー』『アトランティスのこころ』などの感動作も絶品です。とくに『グリーンマイル』は名作です。いい年こいて号泣しました。ホラーが苦手なあなたもぜひお読みください。後悔させません。
キングについてはまだまだとてもここでは紹介しきれませんので、とにかく見つけたら手当たり次第に読むといいでしょう。入りやすいのは『ファイアスターター』とか『ゴールデンボーイ』とか『とうもろこし畑の子供たち』とか、子どもが登場するホラー。中でも一番怖いのは『ペット・セマタリー』でしょう。そして最高傑作はやはり『IT』だと思います。ちょっとひねったゾンビものとしては『セル』の荒涼とした世界観がたまりませんでした。
キングは子どもを書くのが非常にうまいのです。マーク・トウェイン以来のアメリカの伝統を感じます。
キングの話ばかりしていてもアレなので、他の作者も少し。サスペンス・ホラーの御大であるディーン・クーンツ。ベストセラーは多々ありますが、私のイチオシは『オッド・トーマスの霊感』に始まるオッド・トーマス物4部作(ハヤカワ文庫)。これらにはホラーなのに素晴らしいどんでん返しが入っていて感動しました。
また、最近の出色である『WORLD WAR Z』(M・ブルックス/文春文庫)、『ジャクソンビルの闇』(ブリジット・オベール/ハヤカワ文庫)などは一風変わったゾンビものとして楽しめました。
ホラーの短篇集としては、ロバート・R・マキャモンの『ブルー・ワールド』(文春文庫)、ジョー・ヒルの『二十世紀の幽霊たち』(小学館文庫)が非常に良かったという印象が残っております。
ホラーではありませんが、終末世界旅行モノとしてコーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』(ハヤカワepi文庫)が非常に良かったです。ほぼ父と子しか出てこない話なのですが、時々ちらちらと顔を覗かせる悪人どもの鬼畜な所業が土下座級にダークで……。とても満足しました。
どうやら私には自己懲罰の衝動があるようで、テキーラを飲むと道路で土下座したくなるのですが、読書にも同じ傾向が見られます。読んでいてげんなりするような世界であればあるほど、そんなものにハマっている下衆なオノレを反省し、ゾンビがいない社会に住んでいることに感謝し、ただただ善良で建設的で素直な気持ちになれるのであります。
闇の世界を徘徊する異形の者たちに対して、本当に私が悪うございましたと、ひたすら謝罪するのであります。いやあ、晴れ晴れしますな。
何のオチも結論もない話になってしまいました。すみません。でも、趣味を語るとこうなるのは仕方ないのであります。好きだってことは最大の創作モチベーションですしねえ。あなたもご自分の趣味嗜好を最大に生かした楽しい物語を作ってください!
ただし、好きな世界のディテールを安心して描き込むためにもいれものとなるストーリーはしっかり構築しましょうね。
今回はホラー小説、しかも海外モノ限定の紹介文となりましたが、次はいつか「私の好きな娯楽小説」ミステリー編やSF編をやりたいと思います。
ぴこ山ぴこ蔵は、プロとしてやっていきたい方のための最低限の条件である「あらすじの作り方」を研究しています。そしてぴこ蔵の主張はシンプルです。
「商品として売るつもりなら、面白くない物語を作ってはいけません」この一言に尽きるのです。
ただし、お断りしておきたいのは、ぴこ蔵が教えるのはいわゆる「文章作法」ではないということです。「小説の書き方」というほど幅広い内容を取り扱う気はありません。
文章表現というのは簡単ではありません。例えば、高名な画家が絵を描く技術や、プロの演奏家が楽器を奏でるスキル。これらを身につけるのは非常に困難だということは予想がつくと思います。小説を書くのも同じです。村上春樹さんもおっしゃっているように「技術だけではいい小説は書けない。しかし、技術がなければいい小説は書けない」のです。
文字はほとんど誰にでも書けるので、文章も簡単に出来ると考えてしまいがちです。しかし、芸術としての言語表現のレベル(詩や小説のことですな)にまで達しようとしてちょっと頑張ってみると、これがいかに大変な道であるかは、誰にでもすぐにわかります。
ぴこ蔵が挑むのは「創作物の面白さの抽象化」であります。ここはマンガの線の引き方や文体の磨き方を教えるところではありません。「なぜ面白いのか」「どこが面白くないのか」「どうすればその面白さを再現できるのか」を『物語パターン』から探り出していこうと言う試みであります。
さらに具体的に言うならば、ここで教えるのは、エンタテインメント作品のための「プロット作りのハウツー」なのです。サスペンスのある、読んで面白いといわれるための作品を書きたい人に、具体的でシステマティックな「発想のノウハウ」を提供します。
この「プロット作りのハウツー」さえ知っていれば、今まで書いたことがない人でも簡単に物語を作ることが出来ます。また、よくありがちな「面白くない物語」を書かずに済みます。時間の無駄遣いを防げるのです。
いわゆる純文学作品の講座とはかなり違いますので、ブンガクを志す方は使うのをお止めになったほうがいいですよ。なぜかというと、このノウハウを知ってしまうと、娯楽作品を書いてみたくてたまらなくなるからです。
くどいようですが、ぴこ蔵がお伝えするのは、読者を「あっ!」とのけぞらせたい、夢中になって読ませたい。そのためになら悪魔にだって魂を売ってやる、という決意がある方のための本当に実利的で実践的なノウハウなのです。
ぴこ山ぴこ蔵は、
●いかに手っ取り早く面白いストーリーを作るか
●いかに多くの物語を作る能力を身につけるか
ということに力を注ぎます。
メインはあくまでもストーリー作りです。「どうすれば作家になれるか?」ということではありません。
「作家になる」ためには、まず「作品を完成させる」ことが絶対に必要だからです。
そして「作家であり続ける」ためにはより多くの作品をより速く書きあげる技術がなければなりません。
しかも、その作品が「面白くない」ことは許されません。
これらの条件が満たされない場合は、万が一作家になれたとしてもすぐに作家生命が尽きてしまいます。
――不況の今だからこそ、ネットビジネスで稼ごう!
そんな浮かれた言葉に踊らされて、あなたは他人の作った商品を売ることばかり考えていませんか? 売れるかどうかわからない商品の原価ばかり気にしていませんか?
どんな人でも、生涯に1本は小説が書けると言われています。でも、多くの人たちはそんなことに挑戦してみようとも思いません。なぜかというと、どうやって書いたらよいのかがわからないからです。
あんなことは、生まれながらの天才にしか出来ない、おそろしく複雑で精緻で、ほとんど魔術的な精神活動の結果だ、と思いこんでいるからです。しかもその上、館詰めになるための静かなホテルの一室と、署名入りの原稿用紙、モンブランの万年筆が必要だ、と信じ込んでいるからであります。
ここで、はっきり申し上げておきましょう。
物語には作り方があります。誰が読んでも面白いと思うストーリーにははっきりとしたパターンが存在するのです! その方法さえわかれば、誰にでも簡単に作れるのです。
近所の公園のベンチで30分もあれば、安売りチラシの裏側に、ちびた鉛筆で書き殴るだけで、人を惹きつけて止まないストーリーが構成可能なのです。
しかも、それはあなただけのオリジナル商品であり、仕入れ原価は0円。在庫調整の苦労もなく、一度作れば何度でも売れる。紙や映像や演劇、ゲームなどに2次利用もできるし、逆にネット上ではデータだけでも流通させられる素晴らしい商品なのです。
また、「物語の技術」をセールスレターに取り込めば商品を宣伝することにも使えるわけです。これは重要です。商品を売り込むための宣伝文案がインチキくさく、わかりづらく、読むに耐えないものだったとしたら、いったい誰がその商品を欲しがるでしょうか???
あなたの部屋のネタ帳に埋もれているそのアイデアこそ、宝の山かもしれません。小説や映画のシナリオ、あるいは漫画の原作になっていれば、来年の今ごろはもしかすると海の向こうでオスカーをとっているかもしれません。
ところが、アイデアの断片のまま放っておくと、いつしか忘れ去られ、闇の中に沈んでしまいます。しかし、思いついたアイデアを1本1本小説にしていては時間がいくらあっても足りません。だからこそ、短時間であらすじに「立ち上げて」おくことをおすすめします。
あらすじにしてストーリー性をつけておくことで、アイデアは整理され、体系付けられ、常に記憶の中で活性化している状態になります。完成形が小説であれシナリオであれ漫画の原作であれ、あらすじの段階まで出来ていれば、次の段階に進むのもたやすくなります。しかも、あらすじは作れば作るほど自分の力になるものです。
1日1本あらすじを作りましょう。たった1本のあらすじがあなたを救ける宝の山になることだってあるのです。一番もったいないのはアイデアを持ちながら忘れてしまうこと。何度でも言います。あらすじにしておきましょう。あらすじはストーリーを最適化してくれます。
誰かにモニタリングをお願いするときも、長編小説だと嫌がられますが、あらすじなら何本も読んでもらえます。死ぬ思いをして書き上げた小説。その評価に気を揉みながら半年も待つよりも、あらすじの段階で評判の良いものを次々に小説化していくほうが、はるかに効率的ではありませんか。
これからの世の中、作家といえどもマーケティングは大切です。自分の好きなテーマだけを書くのが理想ですが、実績を出したい人はそんな甘いことを言っていられません。市場のニーズを掴むことは非常に重要です。プロであり続けるとはそういうことなのです。
私が小説のコマーシャルを作る現場に20年間いてわかったことは、いわゆる「売れている作家さん」たちが、どんなに自分の作品のセールスに関して真剣に取り組んでいるか、ということでした。
ベストセラー小説の売上で上位にいる作家ほど、宣伝には厳しい制約を課しています。わざわざ自分で書いたコピーをスタジオにまでFAXしてきたり、小説本文からの引用しか許さなかったり、その方法は様々ですが、どの作家も非常に神経を使っていました。
中には「全く自由にやってくれていい」という方もいましたが、その作家は、コマーシャル1本ぐらいでは売上にほとんど影響しないほど、強力なマーケティングとセールスのシステムを作り上げていました。誰でも名前を知っている大作家でも、自著を売り上げるためにものすごく努力しているのです。それがプロの世界です。
もしあなたが漠然と「作家はかっこよくて楽そうでいいな」などと思っていたら、それは大間違いです。昔ならともかく、今は本当に厳しい時代です。1本や2本当てて一生食えるわけがありません。
プロ作家は「物語」というオリジナル商品を売る個人事業主なのです。まずは徹底した生産管理ができなければ成功はありません。なんとなく、ではダメなのです。
1日1本、あらすじを作ることで作品全体のイメージがいったん完成します。あとはそれを詳細に詰めて形にすればいいのです。探りながら書いていては時間がかかりすぎます。まずはあらすじでイメージを完成させ、あとはいかにそのイメージに近づけていくかということが大事です。
もちろん、趣味や気晴らし、研究目的で小説を書く人は、細かいことなんて気にせずに、思いつくまま気が向くままに書けばよいのですが、そのかわり、そういう作品を誰かが読んでくれると思ってはいけません。
あくまでも目標が「他人に読まれて面白かったと言ってもらえる作品作り」にあり、そして、そのことで利潤を上げようとするのなら、まず「あらすじ」から作り始めるべきです。
ぴこ山ぴこ蔵はそんなあらすじ作りをお手伝いします。
エンタメ物語の創作は「読者に味わってもらいたい感情」を想定することから始まる。ただし、あれもこれもと欲張ってはいけない。1ストーリーに1テーマ。絞り込んで読者を集中させよう。
こんなご質問をいただきました。
「起承転結の構造についての質問です。起から承に移るタイミングは、主人公が事件に巻き込まれる切っ掛けと解説されていたように思ったのですが、それでは、
1.主人公がAという人物と出会う。
2.Aと徐々に友情を深めていき、やがて親友となる。
3.Aが行方不明になる。
4.Aを探すために主人公が行動を開始する。
5.障害が発生!
という流れにおいて、2番が重要な位置を占めるとき、それでも2番はまだ「起」の部分に含まれている、という認識で良いのでしょうか。それとも「事件」という字義を広く捉え、1番の「出会う」ことが「事件」であり、2番の「徐々に友情を深めていく」ことが展開部である、ということになるのでしょうか。となると実は3番ちょい手前にミッドポイントがあり、3番はミッドポイント後半の開始ということになりそうですが、うーん。 少し不安です。(Sさん)」
それではさっそくお答えしてまいりましょう。
さて、この物語は一言で言うと、
「主人公がAと友情を深めていき、やがて親友となる」話なのでしょうか?
それとも
「主人公が行方不明の友人を探す」ストーリーなのでしょうか?
なぜそんなことを聞くのかといいますと、この場合の最大の問題は、メインテーマを決めきれていないことにあるように思えるからです。
「1ストーリーには1テーマ」というのが物語作りの鉄則です。一句の俳句に入れる季語が一つであるようなものです。あれもこれも全部がメインテーマでは、まるで季語が二つある俳句のようになってしまい、イメージが混乱・分散する原因となります。
文学的に『テーマ』というと様々な定義があって分かりにくいので、対象を商業的な娯楽作品のみに絞ります。エンターテインメントを求める読者に味わってほしいのは「唯一極上のフィーリング」です。そこで、ここで言うテーマとは『読者に想起させたい感情』と解釈してください。
Sさんが読者に一番感じてもらいたいのは「真の友情を獲得する」場面の感動なのでしょうか? それとも「拉致された親友を奪還する」際に湧き上がる怒りなのでしょうか?
> 2.Aと徐々に友情を深めていき、やがて親友となる。
というのが最重要なのであれば、「友情の獲得」こそがメインテーマになります。映画『E.T.』なんかはそういう物語ですね。そこに決定的な悪は登場しないのです。
そうすると3以降は、「獲得した友情の厚さを確認する」ためと「クライマックスのエピソードとして何か派手なアクションがほしい」というエンタメ的な要請に従って作られることになります。
消えた親友を探しに行くことは、この物語の主人公にとって主要な目的ではなく、「E.T.における自転車チェイスのための理由付け」ぐらいの意味です。だから、ある程度、予定調和的な結末であることが大事です。
「主人公が親友を見つけ、変化する」というストーリーを作るのであれば、物語の3分の2の分量を占める『起』と『承』の全てを使って「二人の友情が深まるまでの話」をじっくりと描くべきでしょう。
そしてなんらかの『転』があって、「親友が拉致されて取り戻しに行く」というクライマックスに突入すればいいと思います。
友情を獲得するストーリーは本質的な構成としてはラブストーリーです。従って、無理に「敵のどんでん返し」を使うことはありません。ハナサカやアオトリなどの「目的のどんでん返し」を使うと作りやすいのではないかと考えます。
※参考記事
また、その場合はむしろ「主人公がどう変化するか?」のほうが構成のカギになりますので、『主人公の成長』をしっかり設定することに力を注ぐべきでしょう。
一方、メインテーマが「拉致された親友の奪還」であるのなら『なぜその人と親友になったのか』という話はサブテーマです。
サブテーマにどのぐらいの文章量を割くかは別として、「親友になった経緯」はオープニングから『承』の始まりまでの中でさっさと処理してしまうべきです。
あるいは、逆にそのサブテーマを『謎』として読者の目から隠すという手もあります。その場合、1~2の要素はむしろ「承」の中の回想シーンで説明するといいと思います。
どちらにしても、できるだけシンプルに、主人公はのっけから「行方不明の親友を探す人」として登場するべきです。そして「事件のきっかけ」としては主人公自身が大変な状況に追い込まれることが重要です。
例えば、罠にかけられて警察に追われることになるとか。24時間後に爆発する首輪をはめられるとか。脱獄不可能とされる刑務所に収監されるとか。そして、その親友救出作業と並行して、「主人公はなぜ親友を探しているのか?」という謎が明らかになっていく。そんな構成にすると興味を持続しながら読んでもらえるでしょう。
また、親友が拉致されるわけですからそこには「悪」の存在が必要です。この「悪」の存在が、クライマックスシーンにおいて、主人公に大きく関係してこなければ、エピソードとして扱う意味はありません。
そのためには「誰が何のために親友を拉致したのか?」という設定がポイントになってきます。このあたりをじっくり練ることが必要であります。
この質問では取り上げられていませんが、実はもう一つ、ドラマチックな動機として多用されるのが『復讐』です。日本人が大好きな『忠臣蔵』も、シェイクスピアの『ハムレット』も、『復讐』の物語です。おっと、藤子不二雄A先生の『魔太郎がくる!』も忘れてはいけませんね。
やられたからやり返す。大事なものを壊されたから相手の大事なものを壊す。仲間や家族を殺されたから犯人を殺し返す。二度と取り返せないものを失ったとき、人は絶望の中で怒りに身を任せます。
見事に復讐を果たしたときのカタルシスには大変なものがあります。しかし、どこかに虚しさが残るのが復讐物語の特徴です。いくら相手をやっつけても、失ったものは戻ってこない。そんな喪失の悲しみが常につきまとうのです。
しかし、それでも人は復讐の念に駆り立てられ、「仇をとる」という大義名分を掲げて、一途で孤独な戦いを始めてしまう……。この恨みはらさでおくべきか。そんな『復讐』は誰もが最も納得できる動機の代表格なのです。
ハートウォーミングな『友情』の話か? スリリングな『奪還』の物語か? はたまた宿命的な『復讐』の悲劇なのか? さあ、どれをメインにするかによってストーリー構成は大きく変わります。
エピソードの効率の良い連動性を考えるのなら、まずは最も大きなストーリーの流れから決めていかねばなりません。あれもこれも、ではなく、この物語ではまず何について語るのかを最終的に1つだけに絞りこんで考えてください。全ては『それ』の欠落から始まり、『それ』の獲得を目指して終わっていきます。
他に入れたい要素があったとしても、まずはメインテーマに沿った構成を優先して作り、その上でサブのテーマを乗せていくようにしましょう。
エピソードに優先順位を付ける。そして最高順位のものを『メインテーマ』とする。他のエピソードはメインテーマを生かすために選ぶ。
そのルールを先に決めることで、作る側にとっても読む側にとっても分かりやすいストーリーになるのです。くれぐれも欲張らないように。1ストーリーは1テーマに絞り込んでください。
獲得か? 奪還か? それとも復讐か?
あなたらしい動機を持った物語を作りましょう。
長期連載を狙うのであれば、次のシーズンにつなげるための伏線を張っておく必要がある。物語をアップグレードした際、論理的に破綻しないために、一段階大きな枠組で入念に準備をしておこう。
こんなご質問をいただきました。
長期連載の漫画など見ていて、たまに伏線の回収ができずにぐだぐだになるときがありますよね。出版社からの要望で人気のものは終わらせてくれないのも現状ですし、次々と展開していくうちにスケールが大きくなりすぎるというパターン。急に一本筋の通った道に新たなストーリーと付け加える、となったときはどのようにストーリーを展開すると前回よりも面白く深く、ちゃんとした筋道を立てることができるのでしょうか。
ストーリーラインは登場人物に付随するので、新しいストーリーを付け加えるためには、メンバーを入れ替えるか、あるいは「ゲスト」という形で発想するといいでしょう。
さて、ご質問はさらに続きます。
メインプロットはそのまま目的に突っ走り、その中で細かく区切って、その区切りごとに伏線とどんでん返しを繰り返していけばいいのではないかと素人考えをしているのですが・・・・;これは正しい考え方なのでしょうか。そして、もし目的を達成してしまった後に、さらなる新しいストーリーをつなげてほしいとなった場合は何を注意し、どのように作っていけばいいのでしょうか。
こういう長期連載スタイルには独特のつなぎ方があります。目的を達成したらそのエピソードは終わりますので、次の目的を発見しなければシリーズは継続できません。
「リセット」と「リスタート」が必要なのです。
目的のリセットといえば、集めると願いをかなえてまた飛び散ってしまう、あの「ドラゴンボール」の仕掛けが思い浮かびます。
「所有者はどんな夢でも一つだけ実現出来るが、再入手には苦労する」
こういうアイテムがあれば何度でも目的を再設定できますね。また他にも「少年ジャンプ」が誇るメガヒット作品には……
敵を打倒 → 友達になる → その上部組織が新たな敵として登場
――という黄金パターンが繰り返されていることは有名です。
最大の目的を達成しないままにしておいてこの「繰り返しどんでん」を使うには、ちょっと考えただけでも……
◆当面の敵が、より大きな敵の支配下にあること
◆敵がその上部組織によって非人道的な命令を受けていること
◆主人公が倒した敵を感動させること
――などの前提条件をあらかじめ用意しておかねばなりません。つまり、長期連載のための大きな型を作っておくことが大事なのです。新キャラが出てくるたびにこれらの伏線を張っておくことで、目的を達成したら次の展開に支障なく移行できるようになります。
また、新シーズンでいったん引っ込めた旧キャラを「復活」させ、前シーズンでは語られていなかった真実を暴露させるという技もあります。この場合には「お、お前はあの時に死んだはずでは!?」みたいな『ないある型どんでん返し』を使うと効果的でしょう。
※『ないある型どんでん返し』の参考ページ
どんでん返しはどこにある?
補足:「あるない型」のどんでん返しについて
具体例は、それこそヒット作品に豊富に提示されておりますので、とくに「新章開始」の回を中心に注意深く読んでみてください。
先人の名作の構造を読み解くことは、お宝だらけの洞窟に足を踏み入れるようなものであります。自分の疑問点を明確にした上で何度も何度も読み返して、徹底的に分析することをお勧めします。
もちろん「ただ読むだけ」では絶対に分かりません。ストーリーの流れを詳細にノートに書き起こすこと。そして、伏線を拾い出しては結果との関連を明らかにすること。
とくに大事なのは、自分がどこに「感動」したのかを具体的に把握すること。
最終的には、その仕組みを他人に解説できるように原理を抽出し、自分の作品に当てはめてその「感動」を再現してみることが重要です。
SFとファンタジーの境目が曖昧になりつつあるが、ジャンルによって異なる形式美を味わいたいファンにとっては、ここはこだわりのポイント。SFの伝統的なオチにおける制約から新しい地平を探る。
こんなご質問をいただきました。
舞台が現代の世界でSF長編を書くときに、どんなどんでん返しがありますか? 何か『これはっ!?』というどんでん返しがありましたらヒントだけください。SFなので、ある程度制約無く思いつく事はあるとは思っているんですが、ぴこ蔵さんのアイディアがほしいのでどうが妙案を下さい。(Jさん)
ぴこ蔵です。
私が言う「どんでん返し」は人間ドラマを生み出すための構成上の工夫です。原則的にSF用やミステリー用や時代劇用といった区別はありません。ジャンルに関係なく、そこに秘密の暴露による人間関係の変化があることが大事です。
そんなどんでん返しとは別に、SFには、伝統的な技術として「オチ」というものがあります。どんでん返しが「Aだと思ったらBだった」という驚きであり「枠組の破壊」であるのに対して、「逆転」や「二面性」を利用し意外な結末とくっついて最後の最後に新たな問題を生み出すのが「オチ」です。他のジャンルではあまり長編に「オチ」はつけませんが、SFではオチのある長編は名作として高い評価を受けます。
Jさんの作品に必要なのは、むしろこの「オチ」なのではないでしょうか。
ただし「SFなので制約がない」とは言えません。SFではどんな突拍子もない出来事も近代以降の科学的ルールに則って説明できなければならないのです。簡単にいえば、宗教上の神様や悪魔が登場してはいけません。「神とされてきた存在」とか「悪魔的な生物」として科学的に説明できるものならOKです。「魔法」もNGです。それはファンタジーになります。「超能力」であれば、生物学的に説明できるものに限りOK。「神通力」はSFでは認められません。スパイダーマンやハルク、キャプテンアメリカはSFの範疇ですが、マイティ・ソーは神話ですからファンタジーです。
最近はこのボーダーラインがずいぶん掴みにくくなってきてはおりますが、それにしても「ジャンル固有のテイスト」にこだわるファンにとってはやっぱり重要です。また、あえて水と油のジャンルを融合する、あるいはジャンルからの脱獄をはかるという刺激的なチャレンジの楽しみも存在します。
例えばチャイナ・ミエヴィルの『都市と都市』のようなSFとミステリを掛けあわせた作品に出会った時、私たちの固くなった脳に突如として新しい回路が出現し、見たこともない風景を目にするわけです。常識を禁じ手でスマートに破壊する。タブーを鮮やかに破る。これぞ読書マニアの法悦ではありませんか。
そんな意味も含めまして(笑)、長編SFで言えば、ぴこ蔵がいちばん好きなオチはアーサー・C・クラークの『地球幼年期の終わり』のアレです。歴史的名作であり、すでにご存知だとは思いますからJさんのヒントになるかどうかはわかりませんが、実に壮大なオチです。腰が抜けます。疲れが取れます。
どうせなら、ぴこ蔵なんぞの貧しいアイディアではなく、こういうスケールのでっかい、ウィットに富んだ作品を読むことによって刺激を受けていただきたいと思います。
『地球幼年期の終わり』著:アーサー・C・クラーク
こんなご質問をいただきました。
僕には書いてみたい小説があります。それはいわゆる「青春小説」と呼ばれるジャンルです。とくに橋本紡(つむぐ)さんの『半分の月がのぼる空』は僕が小説を書いてみたいと思うきっかけになった作品です。
エンターテインメントとして青春小説を書いてみたいのです。あからさまな敵は出てこない(僕が見落としているだけかもしれませんが)主人公たちはただの高校生などであり、なにも特殊な設定はなく、日常を描いているだけなのにグイグイ引き込まれる。感動を与える、そんな青春小説です。
僕も考えてみたのですが、どうにも上手くいきません。青春小説を書く上で、何かコツやテクニックなどはないでしょうか。(Hさん)
ぴこ蔵です。
物語の主人公は「変化」しなければななりません。というよりも、物語とはまさに「変化」を描くものなのであります。人は成長し、あるいは堕落し、対立関係にある者は和解し、強固なシステムは崩壊する……。そのプロセスを語ることがストーリーです。変化しない物を描いても物語には成り得ません。
「じゃあ、例えば何があっても自分を曲げない『ブレない男』を主人公にしたいときはどうなのよ?」という人がいるかもしれません。しかし、その場合は必ず主人公に対する周りの評価などの『人間関係』が変化しているはずです。最初は《頭が硬くて頑固な迷惑者》として登場した主人公が何かの出来事を経て《ブレない信念を持つ男》として見直されることになります。
そして、そんな主人公の変化を誘発するのが「敵」や「障害物」などの対立者(物)です。電流に対する『抵抗』みたいに、敵との戦いは主人公が変化していく様子を測るバロメーターなのです。ですから、どんな物語にも「敵」は必要欠くべからざるものだと言えます。抵抗を感じるということは前進しているということなのですから。
主人公の成長物語でありラブストーリーでもある『半分の月がのぼる空』では、「敵」に該当するのがヒロインの「病気」だと考えられます。
「病気」は人格を持たないので純粋な「敵」とは言えません。しかし、自然災害とか交通事故とか遠距離などの普通の障害とは違って、ヒロインだけを狙って命を奪いに来るという凶々しさがあります。強力な「恐怖の対象」だと言えましょう。
物語では、こういう「恐怖」や「心の暗部」など、人生のろくでもない側面を書くことが重要です。嫌なことの起こらない人生などあり得ないし、逆にそういうことを描いていない物語はフワフワするばかりで読んでいても心を動かしてくれません。
好きな人に告白したい。でも、振られるかもしれない……。
声を上げなきゃと思う。でも、イジメられたらどうしよう……。
この場から逃げ出したい。でも、付き合いが悪いと思われるし……。
実際、私たちの毎日は大小さまざまな困難の連続であり、生きることは『勇敢な選択』と『恐怖感』との戦いだと言っても過言ではありません。つまり、怯懦や躊躇、逃避などのネガティヴな心理を無視した描写にリアリティはないのです。誰もが何かを恐れ、傷つき、悩んでいるのです。
それが分かった上で、「しかし、それでも人生には生きる価値がある」ということを確認するために、エンターテインメントストーリーは必要とされます。
「青春時代」はけして楽しいだけではありませんよね。将来への迷いや人間関係による心の痛みなど、生涯のうちでもとくに激しく苦悩する時期です。
これらのネガティヴな出来事や宿命と正面から向き合いいかに乗り越えて前に進むか。キツい障害や、どうにもならない厚い壁に出会ったとき、自分がどう変化(成長)すると解決策が見つかるのか。『青春小説』では作者が常にそういう観点を持ち、登場人物の行動で表すことが非常に大事だと思います。
Hさんがご自身の作品を今ひとつ面白く感じられないのは、もしかするとこういう「負の要素」が描き足りていないから……なのかもしれません。
もっと主人公の「劣等感」や「屈辱」、あるいは「挫折」をどんどん具体的に書き込んでいくことで、本当に面白い物語になるのかもしれません。
Hさんの作品を読んでいないため、提言というより憶測になってしまって申しわけありません。物語作りのアドバイスは一人ひとりの作品に合わせるオーダーメイドです。従ってこれ以上の具体的なアイデアは語れませんが、ちなみに、主人公の成長を描くには、「TYPE09」「TYPE10」などの『目的のどんでん返し』がよく合うことは言っておきたいと思います。ヒントになれば幸いです。
そんなわけで、青春とは何かを求めてさまよう日々のことなんですなあ。
ぜひ、主人公にがんがんプレッシャーをかけることによって大いに成長させてください。そして、最終的には主人公の持っているコンプレックスを振り払ってやってください。
青春小説は「めげない」ことがメインテーマだと思います。
こんなご質問をいただきました。
私事で恐縮なのですが、何だか最近行き詰まってしまい、これは本当に面白いのだろうか? という負のスパイラルに陥っている気がします。そんなときぴこ蔵様はどうなされていますか? (Iさん)
ぴこ蔵です。
負のスパイラルかー、確かにありますよねえ。
私の場合、どうしても書けないという事態は、理解していない、納得していないことを無理やりやろうとした時、その面白さが分からないことによって引き起こされます。
納得できないから集中できない、自分が面白くないから自信が持てない。
自分自身の経験から言えば、これは大体の場合、ストーリーの先が見えないせいで描くべきエピソードの優先順位が決められないためではないかと思っております。
最初の一行目から順番に書いていく方法を取る場合でも、作者の中では、物語の結末が早い段階で見えているものです。まずはゴールを決めましょう。道順を書いた後で、行きたいのはここじゃなかった、と気づいたらあらためて書き直せばいいのです。
どんなものでも楽して作れるわけがありません。ましてや魅力あるものなんてそんなに簡単には出来ません。脳みそを絞って、苦労に苦労を重ねて、やっと手にすることが出来るのです。
自分が書きたい物語世界を隅々まで設定しようとする人がいます。暇と根性があるならそれも構いません。好きな対象のディテールを夢想するのは楽しい作業です。
あるいはこういう方は、素材の力を重要視するあまり、世界のどこに何があるのかがはっきり認識できないと何も始められないのではないかと思っているのかもしれません。
でも、そうじゃない。
物語を語ることは、あなた自身を描くことです。あなたが世界と対話することなのです。例えそこに世界の全てがデータ化されていたとしてもあなた自身の視点がなければ意味は成立しません。
物語を作るのに必要なのは地図ではありません。必要なのはあなたの「目」です。
つまり、あなたの選択と決定によってスタートからゴールまでの道順を描くことです。そのスタートとゴールの地点を決めるのはあなたなのです。
また、物語作りの訓練も筋肉トレーニングと一緒で、基礎体力が付いてきたらそれに見合ったぎりぎりの負荷をかけていくわけです。そうしないと成長はありません。仮筋を使って簡単なあらすじをまとめるぐらいでは、本編を作るという地獄の作業に耐えられるだけの体力が培われないのです。
最初は誰もが燃えて勉強を始めます。負荷が軽いうちは、どこまでも歩き続けられるような気がします。
ところが、やがて負荷となる課題が難しくなってくると脳が疲れてきます。疲れると、好奇心が衰えて、喜びが消えていきます。ここで大事なのは「基本に立ち返る」ことです。
自分が言いたいことよりも読者が読んでみたいことを優先して書く。そのために作者はまず、良い読者である必要があります。自分の好きなジャンルの作品ばかり読んでいては視野が狭くなって、新しい発見が出来ません。
私の試したスランプ脱出方法の中で有効だったのは、これまで読まず嫌いだった小説やマンガ、名前も知らない監督の映画を鑑賞することでした。もう一度、頭の中を好奇心でいっぱいにしてやること。そして、良い読者として、再び物語を好きになることがリフレッシュにつながったように思えます。
そんな感じです。