最初から困難に直面している主人公には構成上の利点が多い。欠落がそのまま目的になるし、動機が明確だから行動力がある。そして振り幅が大きいため強烈な達成感が得られるのだ。
さて、こんなご質問をいただきました。
「マイナスからの出発」ですが、それで描き始めるとどうしても、「共感型」の主人公に限定されてしまう気がします。凄い主人公の凄さを描きたい場合、例えば、よく少年誌とかで見受けられる、始めから完成された主人公、いわゆる「北斗の拳」のケンシロウのような「憧れ型」の主人公を描きたい場合は、「ゼロ、若しくはプラスからの出発」も、有り、なのでしょうか?
少年誌とかですと、「平凡な日常に突如現われた、超人的な主人公の超能力の紹介」、で成り立ってしまっている読み切り作品とかもありますので、(この場合、準主人公がハンデを背負っていることが多いですが)、「ゼロ、若しくはプラスからの出発」でも、主人公の目標さえ高ければ、また凄さに説得力があれば、エンターテイメントとして面白くなる、ということなのでしょうか? (Jさん)
マイナスからの出発とは?
ぴこ蔵です。
まずは念のために確認しておきましょう。
「マイナスからの出発」というのは、面白い物語の基本形である<【目的】を追う主人公が、邪魔する【敵】と戦い、変化する>の中の『【目的】を追う主人公』のシナリオを作る際のコツのひとつで、「主人公が苦労に苦労を重ねた末、何かを達成し、望むものを手に入れるまで」という『到達劇』をいちだんと盛り上げる『障害』設定のテクニックです。
「何かを達成する話」で大切なのは「達成がいかに大変だったか」を読者に伝えることであり、そのために必要なのは「障害物」や「邪魔者」や「失敗」などの困難です。つまり『到達劇』とは障害物との戦いに翻弄される「試練の物語」のことであり、主人公は最初から困難に直面していなければなりません。
例えば「年取って体がガタガタになったボクサーが、猛特訓の挙句、世界チャンピオンになる」とか、「不倫の代償で会社をクビになったOLが、新しい料理を考案して日本一のレストランを作る」など、物語の出発地点で、主人公はトラブルやハンデを背負っていることが重要です。
こういうと「キャラクター」の話だと勘違いすることもありますがトラブルやハンデというのは主人公の本質とは関係ありません。
マイナスからの出発はキャラのことではない
「マイナスからの出発」はキャラクターの話ではありません。シチュエーションの話です。つまり、筋を展開させるために設定された状況。形勢や局面、境遇、立場、状態に関わる事柄なのです。
例えば『北斗の拳』のケンシロウのキャラは「むちゃくちゃ強い男」ですよね。これに対して物語開始時にケンシロウが置かれたシチュエーションは「南斗聖拳のシンに敗北し、胸に七つの傷を付けられた上に、婚約者ユリアを強奪されている」というものです。
キャラが結果だとすれば、シチュエーションはそこに至るまでの経緯、つまり「バックストーリー」を圧縮したものだと言えます。「マイナスからの出発」とは、状況設定なのです。
他の「憧れ型」のヒーロー、例えばゴルゴ13はどうでしょう。ほとんど不死身の殺し屋で、精神的にも尋常でなくタフです。弱点なんかありません。あってはいけないキャラなのです。
しかし、そんな無敵のヒーローが毎週たやすく暗殺に成功する話ではこんなに人気が出るわけがありません。
不死身のゴルゴには、そのキャラに見合うだけの難易度を備えた「いくらゴルゴでも絶対に不可能」としか思えないような超ウルトラスーパーハードな仕事が依頼されるわけです。
例えば、脱獄不可能とされる刑務所に潜入し、独房の奥深くに収監された標的を暗殺し、しかもその証拠を持って帰らなければならないという話がありました。
受刑者として監獄に入所したゴルゴは、武器が使えないは、厳しい監視の目を盗んで標的に接触しなければならないは、挙句の果てに脱獄までしなければなりません。
それがつまり「マイナスからの出発」であり、話を盛り上げるためのシチュエーション設定なのです。
そんなムリムリな仕事内容こそがシチュエーション。でもゴルゴは圧倒的に強くてクール。そこがキャラ。その違いをはっきりと認識してください。
同じように、暴力だけがモノをいう世界に生きるケンシロウも確かにむちゃくちゃ強くてクールなわけですが、最初の状況は「何もかも失くしてしまったチャレンジャー」という絶望的に過酷な設定から始まっているわけですよね。
たしかにものすごく強いのだけれども、周りにはもっと強い相手がたくさんいるのです。ケンシロウは負けるかもしれないという不安が読者にはある。だからこそどきどきして読むわけです。
キャラの持つ尋常でない「強さ」をも揺るがすような絶体絶命のシチュエーションに主人公を置くこと。
それが「マイナスからの出発」の意味です。
その理由は、単なるゼロからの成功話よりも、マイナスから始めた方が最終的な「振り幅」が大きくなり、感動を与えやすくなるからです。
ですから、プラスからの出発をした場合はいったんマイナスに戻さないと面白くありません。大相撲のスポーツ根性物語を書くのにいきなり「大関」から登場させると後がほとんどありません。そんな時はいったん時間を巻き戻して、ひょろひょろでやせっぽちの中学生が無理やり相撲部に入部させられるところから描いたほうが面白いわけです。
「マイナスからの出発」とは要するに『苦労話』を作ることです。「共感型」でも「憧れ型」でもかまいませんが、主人公をさらに輝かせるために苦境に立たせるという状況設定の技法なのです。
暗くて重い要素を避けるな!
どんなに強くてかっこいい主人公でもいいのですが、それでも心配になってしまうほどの悪条件を用意すること。設定が適切にハードでないとふわふわと甘すぎる話になります。甘いと舐められます。
作り手が稚くして拙い場合、ともすると「地球が爆発する」とか「人類が滅亡する」などの大味で物理的な障害にのみ心を向けがちですが、それでは誰が作っても大差なくなってしまい、なかなか「自分ならではの魅力」が出せません。いかにユニークな障害を設定するかが勝負です。「マイナスからの出発」は心理戦なのであります。
そんな時、有効なのは「個人的でネガティヴな体験」です。「ネガティヴな要素」は人を惹きつけます。さらに「失敗談」は無性に気になってしまうものです。「ひどい目に合った時のこと」や「屈辱の体験」をきっちりエピソードで再現することで物語は俄然面白くなります。
自分のことでなかなか普通は書けないことってありますよね。醜いこと、かっこ悪いこと、ダサイこと、コンプレックス、嫌いなこと、屈辱感、挫折感、恥ずかしいこと、怖いこと……。
これだけは人前から隠していたい。しかし、実はそれこそが人生そのものなのであります。
盗んでしまった友だちの大切な宝物。教室の机の中に詰め込んだカビの生えたパン。ベランダに隠れている裸の愛人。寝室の床の下に埋めた白骨死体。
今もひりひりする心の傷と共に全て忘れたい。でも、どうしても思い出してしまう。あの時、私の身に起きた嫌なできこと、ついつい口がひんまがるような苦い記憶。
私たちの人生とは、まさにこれらのネガティヴな諸問題を毎日毎日乗り越え続けることと言っても過言ではありません。
物語が読者に生きていく力を与えられるかどうかはこのネガティヴな出来事をどれだけリアルに描けるか、そして主人公がリベンジできるか、に懸かっています。
さあ、今こそあなたの「ネガティヴ」なネタを棚卸しして、その痛みを再現し、イメージを誇張し、困難な状況を作りましょう。そして主人公を「マイナス」から出発させるのです。
あの時へこんだあの経験も、時が過ぎれば貴重な資源なのであります。生きるとは物語を紡ぐこと。そして物語を書くことは生きることであります。それは屈辱を乗り越える方法を見つけることから始まり、読者とその力を分かち合うことによって完成すると言えるでしょう。